【アユタヤ遺跡編】タイは考えてたよりも親日だった件
今から、四年前のことだ。
私はかつて栄光の限りを尽くしたアユタヤ王朝の遺跡で、仏像を眺めていた。
我々はバンコクから、二時間ぐらいかけてアユタヤ遺跡へとたどり着いた。そして、
そこで待ち受けていたものは、悠久の宇宙を感じさせる数々の遺跡群だった。
戦争の歴史が刻み込まれた遺跡であり、このことからタイは中立国になったのかもしれない。
アユタヤ遺跡
多くの外国人観光客がこの遺跡を見ようと集まっていた。
空は曇天であった。
この写真の奥にあるのが、タイで有名な木の中に顔が埋め込まれてある例の仏頭である。
この生意気な生き物である筆者 六代は仏頭とともに記念撮影をした。
この頃、絶賛浪人中である。(この後、前期で落ちるが後期で合格する)
なかなかのアホである。
アユタヤ遺跡の歴史
アユタヤ遺跡はアユタヤ王朝が創り出したものであり、日本でいう、室町時代から江戸時代に繫栄した。
ラオスやミャンマー、カンボジアを統べる力を持ち、チャオプラヤー川を利用して、貿易に力を入れた。
しかし、現在のミャンマーに敗れ、遺跡ともども破壊されてしまった世界遺産である。
しかし、過去の栄光が崩れ去った後の建造物は、どこか哀愁ただよう雰囲気をかもしだしながらも、現在までその存在を保っている。
それがとても美しい。
この後、
観光地なだけあって、人々でにぎわっているので、わたくし六代も、お土産屋さんにおもむいた。
そこでは数々の日本語が飛び交っていた。
「ワタシ、アルバイト、ダカラ、コレ、買って」
「コレ、ヤスイ」
「アリガトウございました」
やはりタイは紛れもない親日だった。
しかし、アルバイトなんて言葉、いったい誰に習ったのだろうか。
水上マーケット
バスを降り、しばらく荒涼とした雰囲気の場所を我々が歩いていると、
ガイドからここを渡る、と伝えられる。
我々はボートに乗り、そこから水上マーケットへと移動した。
水上マーケットでは様々なものが売られており、私はそこで財布を買おうとしたが、偽ブランドだったため辞めた。
前回の市場で、時計を買ったのだが、帰国後、一瞬で壊れた。
安ければいいというものでもないのである。
そして、聖地アユタヤで私の友達はやらかす。
タイ人の店員を激怒させたのだ。
我が友、MASAHIROはタイ人の店員に対して、
値下げ交渉をしていた。
たしか、1000バーツの品物を50バーツで交渉し、
タイ人を
キレさした。
さすがの親日もキレるのである。
その後、我々は像を鑑賞し、
またバンコクへと戻った。
このツアーでは、いろんな人々と出会った。
タイ人もそうなのだが、千葉在住の年配の女性は特に印象が強い。
一人でインドも行ったというから驚きだ。
しかし、MASAHIROの値下げ交渉術には敵わないと思った
六代であった。