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ミニマルに生きる

シン・エヴァンゲリオンが面白くない理由

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エヴァがついに幕を閉じましたね。

 

世間では、つまらなかった、面白かった、やはりわかれているそうです。

 

私としては、なんにせよ、素晴らしい作品をありがとう、という感謝の気持ちです。

 

私自身、みなさんの面白かったという意見にも賛同できますし、

 

面白くなかった、という意見にも賛同できます。

 

今回は、あまり面白くなかった、という観点から、なぜそう思うのか、解き明かしていきたいと思います。

 

 

何が起こっているのかわからない

 

Qでもそうですが、終始何が起こっているのかわかりません。

 

その上、難解な用語、ラスト作品にもかかわらず、新しい用語が次々にでてきます。

 

人々が難解だ、と思うものは、単純につまらないという評価をしがちです。

 

何か凄いことが起きていることがわかる程度でしょう。

 

つまり、自分さえ良ければ良いという、私小説的な映画ということになります。

 

風呂敷を広げすぎた

 

明らかに風呂敷を広げすぎたのが、まとまりのないストーリーを形作ってしまった原因です。

 

Qでかなり風呂敷を広げましたが、私はこれは最高の広げ方だと思いました。

 

理由は、序、破の展開からいきなりあのQの展開になるなんて誰が予想しえたでしょうか?

 

しかし、失敗なのはQで広げた風呂敷を、シンでも広げてしまっていること。

 

シンでトウジやミサトの子どもなどが登場していますが、それをしてしまうと、風呂敷は広がってしまう。

 

出すならQのラストにでも出すべきだ。

 

Qの広げ方をみれば、シンでは、風呂敷を元に戻すだけでギリギリなはずだ。

 

最終的にシンでは、もはや風呂敷はもとに戻らない、それならばひきちぎってなかったことにしてしまおう

 

この例えが1番しっくりくる。

 

ラストがつまらない

実写とアニメの融合

 

実験的だがそれはのぞんでいない。

 

我々がのぞむのは、

 

エヴァが、シンジが、アスカが、レイが、

ゲンドウが、ミサトさんが、どう着地するかである。

 

その点でいえば、漫画版は実に綺麗な終わり方だ。

 

では、どうすれば良かったのか?

 

私ならシン・エヴァンゲリオン

 

Qの続きではなく、

 

逆にエヴァンゲリオンが作られるもっと前の時代、ゲンドウとユイが出会い、シンジが生まれるまでを映画化する。

 

過去に焦点を当てることで、

  1. そもそもエヴァとは何なのか?
  2. 使徒とは何なのか?
  3. マリの正体
  4. ゲンドウとユイの過程
  5. 人々はどうしたかったのか?

さまざまなことが明らかになる。

 

シン・ゴジラも前作のファイナルウォーズの続きではなかったが成功した。

 

だから、

シン・エヴァも、Qの続きじゃなくてもいいのだ。

 

エヴァができる前の時代を描く。

 

それがシン・エヴァでやるべきだったことだ。

 

エヴァのラストはすでに旧劇でも漫画でもやっているからシンでやらなくていいのだ。

 

言葉が厳しいが、発想力が無さすぎる。

 

原点回帰。

 

リピート。

 

シンエヴァは、過去を描くことでしか

 

シンエヴァンゲリオンにはなれないのだ。