ひろゆき氏の1%の努力が面白い
この本を読んで、まず思ったのは
自分は頑張りすぎていた。いや、生き方が下手だった。
かつて私は傲岸な瞳に、傲然な態度で
「努力がすべて。努力してない人はダメ」
そう明言していた。
私は考え方を変えたのか? 否、今の私もそう思っている事には変わりない。
しかし、努力の量に関して考え方が変わった。
努力は1パーセントでよかったのだ。
過去、こんな人物がいた。
推薦で国立大学に進学した同級生
私は、国公立に入学するまでにおよそ二年の月日があった。
しかし、彼は現役で国立大学に進学し、
おそらく現役で卒業しただろう。
彼は学生時代、部活にも入らずにのんびりと過ごし、定期テストはそこそこで、
推薦で国立の大学に合格した。
私はこんな人間がいることを許せないでいた。
私は必死で部活をやったが、人間の愚かさをさとり、退部。そしてまた入部というわけのわからないことをやり、勉学は赤点ばかりの日々だった。
そしてFラン大学に入学するも、くだらないと思い退学。
そこから必死で浪人して勉強し、
そして国公立に合格した。
一方で彼は余裕に大学生活をおくり、
余裕で卒業しただろう。
しかし、今なら彼が理解できる。
そして今の僕なら高評価する。
賢いな、と。
彼はつまるところ、しかるべきところの努力はおしまなかったのだ。
努力は本当に1パーセントなのか
努力は1パーセント言っているが、実際は1パーセントではない。私が思うに努力が
6で、運が4だ。パーセントだと努力は60%いるということだ。
だがこれは凡人の感覚だろう。私は昔から人の3倍勉強しないとみんなにおいつけなかった。
つまり世の中には1%の努力で十分な人もいるし。そうでない人もいる。
私は明らかにそうでない人の部類だ。
だったら、限りなく1%の努力に近づける努力をしようと思う。
オススメの思考だが、努力は努力と思った時点でつらくなってしまうものだ。
努力を努力と思わない努力をする。これが大事かもしれない。
この本で一番大切だと思ったこと
ひろゆき氏は言った。
- 0を1にする人
- 1を10にする人
- 10を11、12,にする人
この中なら自分は2の人間だ。
ひろゆき氏はこう言った。
「サブスキルをもて」
できれば、言語が日本に限定されないやつ。
プログラミングなどはその類であろう。
まとめ
私は結局彼のようになりたいのか。この場合の彼とはひろゆき氏
のことではない。
私は残念ながら彼の真似はしても、彼のようにはなりたくない。
だって泥臭く戦う自分が好きだから。
いつだってボロボロになって這い上がる自分を想起して楽しんでいるのだ。