気胸体験談・感想【再発・手術・苦悩について】
もし、あなたが気胸経験者で社会復帰が難しく、人生に嫌気がさしているなら、あなたに私は、深く共感することができます。
今回、私は4度目の再発を経験し、手術を行ったわけですが、
完璧に不安は払拭できていません。
私の中でつのる想いは、この病気とどう戦っていくか、そして人生における選択をどうすべきか。
かの有名な嵐のメンバーにも気胸になられた方がいます。一時はジャニーズを脱退するほど悩み苦しんだそうです。
何も知らない人間はこう言います。
- 死ぬような病気じゃないんでしょ?
- 身体が弱いんじゃない?
- 神経が細いんじゃない?
こういう方はもういいです。
気にする必要はありません。
こういう方はいくら日常で成功していても不幸です。
痛みについて
肺ガンで入院している患者さんにこんな話しをいただきました。
大腸も一度ガンで切ってるけど、肺はそれ以上にきつかった。呼吸もできんし、咳もできんし、寝れん。
そして、術後の生活がしんどい。
気胸も手術になればこの肺ガンと同じように身体に管を入れ、肺をいじりますので似たような痛みを伴います。
ただガンは抗がん剤の辛さもあるので、やはりガンは数倍負担があります。
苦悩について
これはやはり一度ガンになった人が思う、転移の恐怖と少し似ているのですが…
再発という言葉が脳裏にすごく残ります。
気胸は完治という言葉はありません。
しかし、
再発率をかなり下げた、という言い方はできます。
それ故に、再発という言葉が脳裏に残ってしまうのです…
現に私は複数回なってますし、まだまだベテランの人で10回という人もいます。
不安を軽減させるには、やっぱり気胸経験者と語り合うこと。
僕は4回ほどしてて…
いやいや、僕なんか左も右も7回やってるよ!
など、こういう会話できると不安も決してゼロにはできませんが、減らすことはできます。
しかし、現実は社会に復帰すると、
- いつまで病気にあまえてんの?
- 病弱で使えない
- 迷惑
など、凄惨な言葉をなげかけてくる人間は大勢います。またそれがストレスになってしまうのが現実です。
ですが、こういう人は救いようがありません。
こういう人がよく人気者だったり、バリバリ仕事のできる人だったりするかもしれません。
何度も言いますが、こういう人は救いようがありません。
こういう人はこういうことを言った瞬間にもうダメです。
気胸の体感的な症状について
- 呼吸しずらい
- 背中の神経の痛み
- 全力で走った後の脇腹が痛くて走れなくなる痛みが永遠と続く
- ボコボコという肺からくる空気の漏れみたいな音
- 咳
- 私の場合は微熱
術後の痛み
痛みに関して、人間は、口から痛いっていえるレベルはまだマシです。
ホントに痛い時は声がでません。
傷口を火で焼かれるような痛みというのが一番しっくりします。
しかし、これはまだ我慢できます。
我慢できねぇよ!って人もいると思いますが、この痛みは痛み止めで、少し楽になります。
我慢できないのが、
身体の中からの痛み。
ゔぅっ!
ってかんじの痛みで形容できません。
こういう痛みを乗り越えて社会復帰なさる全ての人に対して尊敬しています。
こういう痛みを知らずに無神経なことを言う人は、どうなんでしょうかね…
私の気胸の歴史
- 1回目
センター試験の後でした。
浪人していた身であり、大事な二次試験を控えた矢先でしたので、もう放心でした。
しかも私は
仮面浪人しており、合格しなければ
元の大学で、留年し、授業を受けなければならないという屈辱が待っています。
なんとか一回目の気胸を治し、二次試験を終えたのですが、
結果は不合格
なんの感慨もありませんでした。
- 2回目
二次試験は落ちたのですが、私には後期試験がありました。
ですが、私は後期なんてほぼ受からんと思い、全然勉強していませんでした。
ですが、ふてくされてたわけではなく、
バイトをしながら、元の大学に戻って、どう生きるかを前向きに考えてました。
そんな時、
2回目再発
あぁ、これは後期試験も受けられないな、と思っていたのですが、なんとか受けて
結果、合格
人生何が起きるかはわかりませんが、頑張ってある程度、センター試験で点数を取ってたことが功を成しました。
- 3回目
大学生活も慣れ、あと一年後には就職の準備をしなければならないなー、と思いながら
バイトをしていました。
直前にバイト12時間など働き続けたところで
再発。
立ち仕事で12時間は、やはりカラダが悲鳴をあげたのでしょう。
- 4回目
今回は急に再発しました。
前日まで元気でした。
ですが、就活中で試験を受けたりはしていました。
この急に再発するのが気胸の恐ろしさ、です。
感想・想い
正直、なんで高校の時はあれだけ元気だったのか不思議でなりません。
なるなら
高校の時であってほしかったです。
体力作りに走ったり、部活もしてましたし、肺は丈夫でした。
自分は体力があることが自信でした。
駅伝大会などは見せ場であり、活躍の場だったと言っても過言ではありません。
剣道もやってましたし、甘やかされて人生を歩んではきていませんでした。
人がつらくて耐えられない事や、厳しい練習、嫌だけどそれを乗り越えた自分を想像して頑張ってきました。
一番我慢ならないのが、
楽に生きてきた人が、病気の人を軟弱呼ばりすることです。
彼らは病気と闘っている時点で軟弱ではありません。
私は大事なところで高校を卒業してからが、病気が待ち伏せしていました。
ですが、何回も再発してるおかげでこっちも戦う気力を持つことができるようになりました。
また、追記しながらこの気胸については書いていきたいと思います。